2010年6月30日水曜日

口笛を吹いた話

 最近、ミスタードーナッツ(以下、ミスド)ですごす機会が多かったが、店内の有線で、気になってしょうがない曲があった。
むかしむかしに、大ヒットした曲であるが、曲名も歌手もわからない。
わずかに聞き取れた単語(洋曲です)を頼りに、ネットで調べたが、たずねあたらず。意を決して、CD屋さんへ行った。
恥をしのび、こんしんの力で”口笛”を、店員さんの前で吹いた。ほかに客がいないのは幸いだったが、店員さんは、「まったくピンときません」、という表 情だった。親切にパソコンで調べたりしてくれたが、わかんなかった。
口笛を吹いているさいちゅうに、シンディーローパーの、”タイム・アフター・タイム”にメロディーが似ている気がしてきた。で、違うと思いながら、シン ディーローパーの古いベストを買って帰った。もしかしたら、と期待して聞いてみたが、さがしている曲はなかった。
あきらめて、ミスドの店員に聞いてみると、ホームページに曲のリストがあるとのこと。なんのことはない、聞いてるさいちゅうに、携帯で調べればすぐにわ かることだった。
6月にミスドでかかっていた曲は80曲。そのうち、90年代の曲は約半数。今からは、気分がなえること、記憶が薄れゆくこと、との戦いである。

2010年6月28日月曜日

「6月28日、本日未明・・・」

 朝がたの、3時だか4時だかに、足がつって目がさめた。
ぎうーっ、とふくらはぎが固くなり始めたときに目がさめ、必死でもんだりさすったりしたが、結局止められなかった。
ベッドのうえで丸くなり、小さな声でイタイ、イタイ、イタイ、とうなっているうちに、また寝た。
朝起きると、朝がたのことは夢ではなく、左ふくらはぎはかちかちのままだった。すんごい痛い。
しばらくは、足をひきずりながら歩いた。

2010年6月26日土曜日

映画、”祝(ほうり)の島”

 今日は、映画、”祝(ほうり)の島”を見てきた。
ざっくり乱暴にくくると、対岸に原子力発電所が計画された離島を舞台にした、反原発のドキュメンタリー映画。
しかし見終わった感想は、以外に近くに存在した、ユートピアの話、というもの。
ただし、ユートピアには、ユートピアにふさわしい人しか住めない。粗食に耐えて労働することができないわたしは、一生ユートピアに住むことはでき ないだろう。また、来訪者としてその島を訪れたとしても、わたしにはそこが理想郷であることは実感できないだろう。
よく話し、よく笑い、よく働く、島のじい、ばあ達は、自分たちの生活を、なんとも思っていないと思う。あたり前のことを、あたり前にする生活、それだけ だから。
とにかく、感動したのは、途中途中で挿入される、棚田の話だった。天にそびえる石積みの上の、”おじいさんの”水田である。
たった一人がなした、気の遠くなるような努力の積み重ねは、まるでお城の石積みのようであった。天に向かってそびえる城のようだった。

2010年6月24日木曜日

ハルシオン・ランチ 1 (アフタヌーンKC)

著者:沙村 広明


自分の性癖さえコントロールできない、ダメダメな人々が、ダメダメな異星人?の保護者になるとゆう、ダメダメなお話。
エロ・グロ・ナンセンス、ゆうたらどんなの?、と聞かれたら、こおゆうの、と答えたくなる、ナンセンス・コメディ。
作者の、露悪的というか自虐的というか、そんなものがてんこもり。
エロ本のように、こっそり読んで、こっそり隠しておきたい。
そんで、こっそり続きを読むつもり。

歌舞伎町で待ってます―風俗嬢れもんの青春物語

著者:牧瀬 茜


読む前は、どうせたいしたことはないだろうと、なめきっていました。作者の牧瀬さんとこの作品に、こころからおわびして、訂正いたします。
最初は、とつとつと話す女の子を目の前にしているようで、「も少し言葉にできんのかい」と、イライラする感じだったが、読むほどに、どんどん引き込まれ、読み終えたときは、余韻でぼーっとなった。
感想は、うまく整理できないのだけど、一言でゆうと、せつない気持ちになった。
性風俗の仕事をしている女性たちは、どのようなきっかけや気持ちで、その世界から去ってゆくのだろうか。

「悪所」の民俗誌―色町・芝居町のトポロジー

著者:沖浦 和光


一般の人向けに書かれたとのことだったが、もんすごく手ごわくて、読み終えるまでにすごい時間がかかった。しかし、自分にとって、それだけの価値のある内容でした。
”悪所”や、そこに生きる人、そこに惹かれてしまう人への愛にあふれています。
遊女についての文では、「先生、それはロマンをいだきすぎでは?」と思うところも多々あるが、特にそういうところに共感してしまう。
自分の趣味・嗜好だか、性癖だかを、肯定してもらえているようで、少し元気になれました。

部落差別の謎を解く―キヨメとケガレ (モナド新書)

著者:川元 祥一


部落差別について、ぼんやり思っていたことが、少し整理できたような気がする。
作者川元さんの、すべての意見や説に賛成するわけではないけれど、これから自分が部落差別について考えるときには、この本が基準になると思う。

2010年6月21日月曜日

はじめまして

なにかの縁で、ここに来られた方、はじめまして。




ここには、残念ながら、来られた方をもてなすための工夫も、仕掛けもありません。



ここでできることは、人間を観察することだけです。「あぁ、こんな人もいるんだ」、と、横目でちらっと見て通り過ぎてもらえれば結構です。



ここは、わたしがわたしにあけたのぞき穴か、わたしが書いて瓶詰めにして海に流した手紙のようなものです。



昔見た映画で、”マルコヴィッチの穴”というのがありました。とあるオフィスビルの中に、マルコヴィッチさんの脳みそをのぞくことのできる、秘密の場所(部屋?)がある、というお話でした。



映画の主人公たちがのぞき見るマルコヴィッチさんは、有名な俳優でしたが、わたしはもちろん無名の、”どこかにいるだれか”、というぐらいの人間です。

(voxにて)