2011年2月24日木曜日

2・26

 2・26、せまる。

 これを国体(こくたい)の大事として、「朕自ラ近衛師団ヲ率イ、此レガ鎮定(ちんてい)ニ当ラン」、ゆうて、天朝様みずからが侍従つれて、"ビックカメラ"とかにならんでくれんかな。

 なんのこと、ゆうて、ニンテンドー3DSのことですが・・・。

 ニッポンの輸出品は、自動車だけではありませんので。

 ガラパゴスとかいわれとっても、ハードウェアでは高いシェアもっとるし、なにより、ニッポンの(大衆)文化を輸出する、礎(いしずえ)となるものですから。

 残念ながら、わが家では、当面導入予定なし。なにせ、オトナもふくめて、すでにDSLiteをひとり一台ずつ導入済みなもんで・・・。もう、何台あるっちゅうもんじゃない。

2011年2月23日水曜日

クライストチャーチ

 ニュージーランドの都市、クライストチャーチが、大地震でたいへんなことになっている。

 ニュージーランドと聞いたら思い出すのは、だいだいだい好きな映画、"ウィザード"。
 気に入らないのは、邦題だけ。

 理論だってはうまく説明できんのじゃけど、とにかく好きで、何度みても、笑って、泣いてしまう。

 監督したのは、クライストチャーチの大学を卒業したという、ヴィンセント・ウォード。

 中世の村人一行が、"投げ込まれる"現代ニュージーランドの街が、クライストチャーチのような気がしてならない。

 村の一行が命をかけて、十字架をささげた、あの教会は、無事なのだろうか。

うみの苦しみ または白いアクマについて

 毎年、胃がん検診(胃のレントゲン)がおわるたびに、もう二度と受けるものか、と思う。
 でも、申し込みの時期になると、人間ドック行かんのだし、胃検診ぐらい受けんにゃいけんかな、と改心する。
 で、今年も、楽しい胃がん検診の日がやってきた。
 朝食ぬきで腹ぺこのところに、発泡剤で胃をふくらませ、"おいしい"バリウムをたっぷり飲む。
 ハンバーガーショップのシェーキみたいに、3種類ぐらいの味からえらばせてくれんかと、いっつも思う。
 ガラスばりの部屋にはいって、撮影台にねそべって写真を撮るんじゃけど、この台がよくできてて、360度、立体的に回転する。
 ゆっくり動くあばれ馬のような畳(?)に、必死でへばりついてて、「はーい、あっちむいて」、「はーい、こっちむいて」、「右から回って腹ばいになって」などというカメラマンの注文にこたえてポーズをとる。
 「はーい、いいですよ。息とめて。」
 「バシャ!」
 たいした時間はかからんけど、こんだけでげんなりする。この時点で腹具合がおかしくなる、頭が重くなる。
 しかし、ほんとうの恐怖は、ここからはじまるのだ。
 撮影をおえてすぐに、下剤を飲む。
 技師さんから、水をたくさん飲めだの、6時間たっても便通なかったら追加で下剤を飲めだの注意事項を説明される。
 きわめつけは、"2日間便通がなかったら、病院へ行くよう"に言われる。
 はじめてバリウムを飲んだときは、下剤がききすぎてトイレから離れられんくなって、"あの恐怖"は体験することはなかった。
 なめてかかった2回目。最初の便通が夕方だったが、もう、バリウムが石膏のように固まってて、尻がやぶれんで出すのは、物理的に無理なんじゃないかと思った。「絶対むりじゃし」、「カミサマたすげて」。
 力を入れんように、ひーふーひーふー息をして、時間をかけてことにおよんだが、努力のかいなく・・・。
 それからっちゅうもの、胃検診の前の日から憂うつになり、当日は、うんちのことで頭がいっぱいになるようになった。
 下剤を飲んですぐに1回目、2回目と夕方までに便通がくればしめたもん。
 すごい下痢で腹がぎゅうぎゅうに痛くなろうが、トイレからはなれられなくなろうが関係ない。
 とにかく、"バリウムが、腹から出てくれさえすれば"。
 1回目の"白いうんちが夕方までに出たからといって、安心してはならない。
 2回目の便通で、かっちんこっちんのバリウムが残ってて、やっぱり涙目になったことがある。
 で今回は・・・。
 1回目の便通が遅かったわりには、ふつうでした。
 翌日も白いうんちが出たけど、若干固いだけで、かっちんこっちんではなかった。
 あー、よかった。もう大丈夫だろう。
 技術の進歩か、飲むバリウムの量自体も減ったような気がする。
 しかし、ここで油断してはならない。
 鼻から胃カメラを入れるだの、検査方法を変えないかぎりは、来年もバリウムを飲むことは変わんない。いつ、あの白いアクマが牙をむくかわからんのだから。

2011年2月22日火曜日

えかったです 広島第一劇場

 2月のおわり・・・。広島第一劇場にいってまいりました。ハズカシながら。

おめあては、"真咲凌"さんです。
かわいかったです。ぷりぷりしてました。おどりも切れがよくて、凌さん、うー、うまいです。みせてくれました。これぞ踊りこ。見にきてよかった。
おなかも、ますますぷりっぷりしとって、かぶりつきたいほどでやんした。凌さんかわええなあ。

あわせて4人おどったんじゃけど、4人が4にんとも、それぞれにすんごいおもしろかった。
「まっ、ええか」ちゅう踊りこさんがひとりもおらんで、みんなに、目いっぱい楽しませてもらった。
あいかわらず、1回目公演だけで帰ったんじゃけど、充実しとった。満足!
(うそです。ほんとは、二巡か三巡みたかった。)

おおっ、なんじゃーこりゃ、と目をひいたのが、"鏡乃有栖"嬢。
つかってる曲からおどり、芝居まで、かわっとっておもしろかったです。雰囲気がね。
しゅ、しゅ、と日舞みたいなきれいなおどりをみせといて、さいごはエッサッサ。
おまけに、さいごの衣装はチュチュだけ・・・。笑かしてくれました。

ストリップゆうのは、いろんなことができるんだ、とあらためて思ったしだいです。

晴れた日は学校をやすんで

 "晴れた日は学校をやすんで"ゆう、西原理恵子さんちの名作マンガがあった。

 どのくらい名作か、ゆうと、うー、あー、忘れた。
 ともかく、いい話だったような気がする。読んだのは、社会人になってからだと思うんじゃけど。

 きょうは、天気がいい。そ、ゆうわけで、会社をやすんだ。

 ぽかぽか陽気のなかを、電車にゆられると、ほんとにきもちがいい。
 でも、どきどきしているから、眠くならない。
 中、高校生が、学校サボってどっかにいくような気分だ。

 家に電話されんように気をつけねば。
 暗くならんうちに、お家に帰ろう。

2011年2月19日土曜日

ザ ラスト オブ モヒカン

 コンビニで。

 モヒカンのおじさんが、買い物しよった。

 イナカではめずらしい。

 ヒトの中身がすけて見えるわけでは当然ないけれども、服装といい、顔の表情といい、人のよさげな、柔和な感じのおじさんだった。ごく、フツーだった。
 金髪のモヒカンいがいは。

 「ほえー、生(なま)モヒカン。はじめてみたー。」

 娘がよろこんでた。

 "ナマモヒカン"って、なに?

もとのジュウクに しておくれ

 リエンする気はさらさらないんじゃけど、めげた(壊れた)ケータイにフォーマットかけて、"工場出荷状態"にもどってもらった。

 メーカに修理にだすにあたって、そのままだすのが恥ずかしいと思ったので。

 フリーウェアがじゃかじゃかはいってたりとか。

 違うメーカ、ちがう機種のドライバーがインストールされてたりとか。

 レジストリいじって、設定がかえてあったりとか。画面が、ありえん表示になってたりとか。

 たしたら1GB超えるんじゃないかっちゅうくらいに、お宝画像とか、動画がはいってたりとか。
(これは、メモリーカードにはいってるんで、関係なかった。)

 メーカのヒトに、そのまま見られるのが、いろいろ、いろいろと恥ずかしいように感じられたので、エイヤっとフォーマットをかけた。

 「あんたの使い方がおかしかったんじゃないの?」と思われるのがイヤで、証拠を消したともいえる。

 もしやと思って、一応確認したが、不具合はなおってなかった。ソフトでなく、ハードウェアの故障と思う。

 フォーマットかけて初期化しても、"枯れ木に花が咲く"じゃなし、もとのジュウクにはもどらなかった。

2011年2月18日金曜日

テンション!?

 今週は、わがやは、インフルエンザにはじまりますた。

 子どもが日曜の夕方から熱が出て、月曜朝に病院つれてったら、インフルエンザのB型ですと。

 本人はいたって元気で、病院でのまち時間、「ひま」、「あー、テンションがさがった」と、わけわからんことゆってた。

 もともと、熱があるのがわかったのが、ゲームやってて興奮して、顔が真っ赤になったのが、時間がたってもなおらんかったから。
 "モンハン"やってて、海の中。しょぼいクエストしてて、「なんか音楽がかわった」と思って、ふと、ふりかえると、でっかいドラゴンが、すぐそばにおったんだと。
 頭まっしろんなって、必死でざばざば泳いで逃げたがタコなぐり。瀕死の状態で、あとすこしで死にます、ゆう状態でポーズ(一時停止)かけて、動物園のクマみたいに、部屋ん中をいったりきたりしていた。

 「なんしよん?」
 「あーびびった。すげーテンション上がった!」

 その後も"感染者"は元気だったが、当然感染者であるからして出席停止。がっこに連絡したら、学級閉鎖になっとった。

 本人元気なんで、家においといて仕事に出た。微熱はあるのに、ほんまに元気だったらしい。
 じじばが見舞いにきても、「うつるから来(こ)んで」という、すばらしい言いわけして、自由をまんきつしてたらしい。

 居間のテレビの前にビーチベッドをおいてやったが、本だのリモコンだの携帯ゲームだのをずらっとまわりにならべて、基地をつくっていた。

 2日も休んでると、録りだめてたビデオも見きってしまい、やることがなくなった。ほんとのほんとに"ヒマ"になって、「学校のドリルをやって」しまったそうな。

 元気なんなら、最初からべんきょとか、ならいごとの練習とかしろよ。

2011年2月16日水曜日

まっ いいか

 ケータイにでっかいメモリを入れたので、調子んのって、いろんなアプリを入れてみた。
 インターネットでさがして、おもしろそうだったら、とりあえずインストールしてった。

 2GBまでしか対応してない機種に、8GBのメモリを(無理やり)認識させて、うちょうてん。してやったり、ゆう気分。メモリ認識させんのに2時間ぐらいかかったけど。

 ほんなら、ふたつぐらい、動かんソフトがあった。
 ありゃ?、画面まっくら。

 どんまい。

2011年2月15日火曜日

いちなんさって

 やっとこさ、引っ越しがおわった。
 ケータイの。

 通話のスピーカーがめげて(壊れて)から、外付けのイヤホン・マイクを使って、現実逃避してたが、ガマンも限界。
 やっと重い腰をあげて、中古で買ってた予備機の設定をはじめた。

 昼過ぎにスタートして、じゃあ明日から使えるわ、ゆう状態になったのは午前2時過ぎ。
 そのあいだにメシ食ったり風呂はいったりしとるとはいえ、軽く12時間をこえてしまった。
 とちゅう何度もいきづまって、頭切れそうになったし。

 「あと1時間やって進まんかったら、父さん、家出する」とか、わけわからんことを家族につぶやいてた。

 けっきょく、メールのデータは引っ越せんかったけど、電話帳やスケジュール、その他もろもろの移動は無事できたので、よしとしよう。

 なんか、まおんなじの機種なのに、動き早いような気がするし。

 んが、きょう夕方、自宅の無線LANにつなごうとしたら、無線のとこが、まったくはたらいてない。
 なんが悪いんじゃろうか?、と思ってたら、今度はメールサーバにつながんなくなってしまった。

 アプリをどんどんいれたり、はては違う機種のドライバいれて、でっかいメモリーカードを無理やり使ったりとかしてるし、なにがどう悪いのか、すぐにはわかりそうもない。

 一番の問題は、乗り換えたデンワ自体が、5年近く前にデビューした機種の、しかも中古っちゅうこと。

 また、いつ、本格的にいってしまわれるか…。
 前のデンワを修理に出しといた方がいいかもしんない。

2011年2月11日金曜日

沈まぬ太陽

 テレビで、"沈まぬ太陽"をやってて、妻が夢中になってみていた。

 どんな話なん?、と聞かれて、「どんなんだっけ。たしか、黒部ダムの話じゃないっけ。」

 と、こたえて、わたしもしばらく見ていたが、どう見ても、飛行機会社の話だった。

 「あっ!、ありゃあ"黒部の太陽"じゃった。」

2011年2月9日水曜日

よいしらせと わるいしらせ

 スマートフォンとやらがはやりはじめ、便利そうな周辺機器や、かっこいいカバンやポーチが、どんどんでてきた。

 でも、かなしいかな、自分のスマートフォンは、i-Phoneでもなければ、アンドロイドでもない。
 おまけに、厚さがぜんぜん違う。最近のスマホは、えらく薄い。自分の、"ほぼニンテンドーDSサイズ"の電話とは違いすぎる。
 最近使いはじめたデジカメは、大きさも重さも、電話より小さかった。

 んなもんで、周辺機器はもちろん使えんし、スマートフォン用のポーチには入らんし、スマホ用のポケットがついた、かっこいいカバンやらも使えない。

 こないだも、「あっ、こりゃいいじゃん」ゆうて、電話用に買ったポーチが、ぱっつんぱっつんで、使えませんでした。

 たいへん、ざんねんです。

 閑話休題。

 もうすぐ、ニンテンドーの3DSが発売されますね。

 大きさをみると、DS liteや、DS i と、ほぼ同じでした。

 ということは、これからどんどん発売される、3DS用のカバンやポーチは、自分のスマホで、そのまま使えるということです。

 よかったですね。

 ちゅうわけで、わたしが腰から電話をつっとくポーチ(電話ケース)は、いつまでたっても、"NINTENDO"って書いてあるままになりそうです。

 電話用のポーチをたくさん持ってますが、ほぼすべてに、"NINTENDO"って書いてあります。

 かっこわるいですね。

2011年2月8日火曜日

純喫茶

 駅前の"純喫茶"に、はいった。

 通学で、何年ゆうことない、前を通りすぎてたが、はいったのは初めてだった。

 中にはいると、外観をうらぎらない、かんさびたぐらいに古く、暗く、雰囲気があった。

 週刊アスキーで、神足さんが言われていた、コドモがはいっちゃいけない、オトナの場所だった。

 コーヒーは、おもいのほか安く、ピーナツがおつまみについていた。

 らせん階段はかざりかとおもってたら、お客さんがなんか言いながら上がっていった。

 20年以上前に、「古っ」とおもった喫茶店は、そのまま20年がすぎていた。

 もしかしたら、20年前も、このままだったのかもしれない。

ぼこうは

 ひさびさの母校は、よそよそしかった。

 長年かよった学校なんじゃけど、卒業して20年以上たつんだから、そりゃそうじゃろう。

 校門をくぐるときに、すこし緊張した。

なつかしく さびしい

 電車から、高校時代にいりびたっていた、喫茶店ゆうか、甘党の店がみえた。

 一度閉まった店は、もう二度と開くことはない。

 それでも、店の前をとおるたびに、ふり返ってまでみてしまう。

 まだ、かべに、看板がのこっていた。

ハルナ ワスレソ

 電車の窓から、梅の白い花が咲いてるのがみえた。

 木のそばに、ご夫婦(?)が立ってて、木の枝のほうに手をのばして、なにやらお話をされてるようだった。

 すこし、気いがはやいような気もするんじゃけど。


 ニオイオコセヨ ウメノハナ

サクラサク

 春にはすこしとおいけれど、さくらさく。

 仕事は休みをいただいて、子どもの入学届を、学校まで持っていく。

 電車を乗りついで、約1時間半。

 書類は、わざわざ学校まで持ってかなくても、郵送ですむ。

 ほんとは、自分の通ってた学校に行ってみたいだけ。

2011年2月3日木曜日

おとしもの

 落としものをした。

 職場に帰ると、名札がなかった。
 くびから、ひもだけがさがっていた。

 名札のなかにはICチップ入りのIDカードもいっしょにはいっている。

 車で走りまわって、自分が行ったところをじゅんじゅんにさがした。
 でも、ない。

 駐車場に戻って、ためいきをついた。

 あきらめきれんで、ケータイで、車のシートの下を照らしてさがしたら・・・、あった!

 ドアんとこのサイドシルと、シートレールのあいだに、名札が"立って"いた。

 さがしにでかける前に、車のなかをさんざんさがしたのに、そんときはみつからんかった。

 よかった、と、ほっとしたが、どっとつかれた。

 きょうは、よい日なのだろうか、それともわるい日?

受験の朝

 真っ暗で、星が出ているなか、受験生を駅のホームまで、見送りにいった。

 ぜったいに(着くまで)寝るなよ、となんども言った。

 きょうで試験はおしまい。

 おわったら、きょう仲間内で打ち上げをするそうな。

 合格発表はあしたなんじゃけど。

 なんか、こころがけが、まちごうてないか?

2011年2月2日水曜日

カメラ!カメラ!カメラ!

 宮本常一さんの「忘れられた日本人」を英訳した、ジェフリー・アイリッシュさんは、子どものころにはじめて手にしたカメラは、"Pen(オリンパスの)ではなかった"、とわざわざ言われていた。

 自分も、高校生のころ、オリンパスのPenを持っていた。
 中古をこづかいで買ったんだが、当時でもPenは、なつかしいイメージのあるカメラで、きっと、ずいぶん安く買ったのだと思う。

 学校に持ち込んだり、とにかく持ち歩いてたが、残念なことになくしてしまった。
 でも、買い替えることはなかった。

 当時は、はりきって、一眼レフを使っていた。
 お金はないので、自分で現像とプリントができる、白黒写真ばかり撮っていた。

 傑作を撮るんだ、傑作な瞬間を撮るんだ、とリキんでいたが、まわりの友人たちのように、ものにはならなかった。いま考えても、しょうもない写真ばかりだったような気がする。
 記憶に残るような写真はほとんどない。

 学生になり、親元を離れるときには、一眼レフは持っていかなかった。
 オリンパスの、やっぱり中古のXAを持っていった。

 XAは、見た目は悪くなかったが、なにを撮っても、いまいちピントがあまいような気がした。光学系に、なんか不具合があったのかもしれない。
 外付けの専用フラッシュも持っていったが、何分の一秒でなく、何秒になっても、そのままシャッターが切れるので、使わなくなった。暗くなっても、そのまま撮ってた。

 フラッシュをはずしたXAは、フィルム・カメラの限界じゃないか、ゆうぐらいにコンパクトだった。
 ピントがあまくても、構図がへんでも、気にならなくなった。
 写真自体を、それほど撮らなくなった、ゆうのもあるかもしんない。

 仕事をするようになって、オートフォーカスのコンパクトカメラを買ったが、あまり記憶にない。ずいぶん前、ゆうのもあるが、とくに愛着もなかったのだろう。
 そいつが壊れて、つぎに何を買うかを迷ったのをおぼえている。

 一眼は考えなかったが、ズームつきのごっついのにするか、単眼の広角にするかでずいぶんなやんだ。

 家族の行事の写真を撮らんにゃあならんので、ほんとうは望遠があったほうがよかったのだが、けっきょく、リコーの広角28mmの単眼にした。
 無理やり(ほんとうに無理やり)なギミックで、24mmのパノラマ写真が撮れる、ゆうのも魅力だった。電源を切ると、ぺったんこなプレートのようになる、ちっちゃなカメラだった。
 ちゃんとしたオートのカメラじゃけど、トイ・カメラ感覚だった。

 運動会などで子どもを撮ると、さすが広角で、子どもが米つぶのような写真しか撮れなかった。しゃーないか、と家族にはあきらめてもらってた。

 しばらくたって、ズームつきのコンパクトカメラとの2台体制になったが、このリコーは気にいってて、一度壊れたがわざわざ修理して、いまも使っている。
 フィルムの送りが不安定で、現像されたフィルムをみると、写真の"額縁"が、大きくなったり、小さくなったりしている。重ならんから、まあええか、と思っている。

 で、このたび、ついにデジカメを買った。

 去年の誕生日に、"好きなデジカメがえらべるカード"ゆうのをプレゼントされたが、一年ちかくなやんで、保留にしてた。

 フィルムのカメラからデジタルにのりかえていいんか?、というのが一番で、つぎが、もう一台カメラがあっても、ほんとにつかうの?、ゆうのがあった。

 写真展をみにいっても、フィルムの写真かデジタルか、ゆうのが気になった。
 どうもデジタルの写真は、ピントのあってないぼけたところが、ぼけ味が、フィルムの写真ほどきれいでないような気がした。
 ずぼらなんで、撮りっぱなしになって、整理もプリントもせず、ずんずんカメラんなかに写真がたまってしまうんでは、とも思った。

 さいごに背中を押したのは、"離島に出張するかも"ゆうことだった。
 その離島にはお宝の写真がある。島のお宝であるその写真を持ち帰るには、写真に撮るしかない。しかも、うちにあるカメラ(銀塩の)は、マクロ機能がなく、ケータイのカメラは、マクロがないうえに、画質が悪すぎる。

 きゅうにあせって、デジカメを物色しはじめた。

 で、けっきょく買ったのは、リコーのコンパクトなデジカメ。
 はやりの防水でなく、ぺったんこに小さく薄いわけでもない。レトロなぐらいに、カメラらしいカメラ。
 防水で、とにかく壊れず写真が撮れる、ゆうデジカメも考えたが、"もと写真部"ゆう見栄で、リコーにしたような気がする。

 てんこもりに機能があるが、ほとんど使いそうにない。シャッターを半押しすると、戦闘機のコクピットかい、ちゅうくらいにいろんな表示がでるが、意味わかんない。
 でも、ひさびさに選んだ、自分のカメラ。素直にうれしい。

 島への出張はたちぎえになったが、充電はすませて、毎日カメラを持ち歩くようになった。重い通勤かばんが、ますます重くなった。ムダに。

 目にうつって、こころの中で、「あっ」と声がでたものを、ぱしゃぱしゃオートで撮っていきたい。
 カメラを持ってるだけでわくわくする。でも、わくわくするだけ、お守りみたいに持ち歩くだけで、まだ一枚しか写真撮っとらんのじゃが・・・。

 傑作な写真が撮りたい、ゆう欲をおさえて、メモをとるよりも自然に、目線のままに写真が撮れたらいいな、と思っている。