2011年10月31日月曜日

おりおん

 おきてきて、たばこ吸うのにベランダに出た。

 「きょう一日、どうやって過ごそうか」

 暗い気持ちで空を見ると、意外なほど星がたくさん見えた。
 オリオン座も見えた。

 すこし気持ちが、明るくなった。

2011年10月30日日曜日

”瀬戸内離島物語”福島菊次郎/著・写真

 1950年代の写真が中心なんかな?

"戦争が終わった"ころ(戦後はまだ終わってない)の、貧しく厳しい離島のくらしが中心に活写されている。

ながい背負い子。ひしめきあうように、ぎうぎうに急斜面によりそって立つ家屋。耕して天にいたる田畑。鼻たれの子どもたち。
太く固く、爪の間といわずしわの一本一本まで、黒い土や油が染み込んでいるのは、働くヒトの証(あかし)。
オトナも子どもも、はだしでセッタかわらじをはいてるか、そのまんまはだし。

ガキどもがずらっとならんで歯を見せている写真の中に、ひときわいい笑顔で歯を見せているボウズ頭のガキがいる。定年退職した知りあいのおっさんだった。

そして、出版当時の現在、80年代から始まった、上関の反原発運動とあたらしい農業の取り組み(有機農法)で終わる。

かれ(菊次郎さん)の写す写真や言葉は、その時々の真実だと思うし、写真はうそをつかない。ただし、かれの思いや、思うストーリーをおびている。

かれは怒(いか)れるヒトだ。かれの怒りはもっともだと思う。でも、自分は、かれと一緒に怒ることができない。読み終えて、罪の意識ゆうか後味の悪さが残る。

離島に限らず、山村やマチバでない集落はみな同じと思うとるんじゃけど、公害も若者の止まらない流出による過疎化も高齢化も、一次産業の終焉も、漁業資源の枯渇も、みんな、自分らが望んだ未来の結果なんじゃないか、ゆう気がしてならない。

昭和50年代ごろまでにぎわっていた"駅前"も、空き店舗が増え、にぎわいがもどる道筋は見えない。熱量死がすすんでいるのはひなびた集落だけの話じゃない。

"忘れられた日本人"を英訳された方が、生まれてきた集落は、消えてゆくのも自然なのではないか、のようなことを言われていた。ものすごく重い言葉だった。

沖家室は橋がかかり、離島ではなくなった。しかし日和見(ひよりみ)の内航船がまた瀬戸内を駆け回る日が来るはずもなく、家室千軒が復活することはない。多くの港町がそうであるように。
鞆の浦ががぜん注目を集めるようになったが、それは"観光"の話であって、郷愁には同情がまじっているように思う。
鞆が栄えたのは、美しい風景や町並みによるものでなく、清濁あわせた波が、欲望や富が打ちよせていたからだ。

宮島は世界遺産になり、海外からも観光客が訪れるようになったが、江戸期の活気を取り戻すことは難しいだろう。神の島を訪ねることの熱い信仰心はいまないと自分は思ってるし、そのうらおもての色町や芝居町はすでになく、そのようなものが受ける時代ではもちろんない。

それでも、山や島の集落が、ただ死んでゆくのを受け入れる気にはなれない。マチバに住む人間の、無責任な感傷であるが。

上関の原発闘争は続いている。3.11以降少し熱をおびたかもしれないが、そりゃあ30年におよぶ議論の、ほんの一場面であると思う。
島での地道な議論や活動も行われている。周防大島町の郷土大学など。"再生"ゆうてもまだ死んじゃあいねえ、とばかりに。






"瀬戸内離島物語"
福島菊次郎/著・写真
社会評論社1989年発行

逃避行

 警察から逃げてるのでなく、悪の巨大組織から逃げてるのでもなく、なんから逃げてるかゆうと、"現実"から。

 カバンいっぱいに、本とマンガを詰めて、たばこの予備持ってミスタードーナツにゐる。

 本もマンガも、悲しくなる結末が約束されてるもんをわざわざ持ってきている。同位性の原則、ゆうのはほんまじゃろうかわからんけど、いまはそういう気分。

 いつまでここにいるのか、なにをしたらここからどこかへ行くのか、まったく決めていない。

 どーせ逃避行なら、金髪になって、"深津絵里"と愛の逃避行がえかったな("悪人")。

 映画、見てないけど。

にちようび

 ここひと月、お仕事にアクシデントがぽこぽこ続き、もうダメじゃんとか毎日思いながら、一日一日をぎりっぎりですごしてた。

 んで、今週になってひとり職場に復帰して、なんとか目の前の締め切りに間に合いそうな気配がしてた金曜日の朝のこと。締め切りは当日の午后5時!

 人事部門のえらいおじさんから、「決定事項じゃけど、ひとり抜いちゃうから」との人事異動の電話が、こっそりあった。

 その10分後には人事異動が発表されて職場は大騒ぎになっとったんじゃけど、そんとき自分は、死んだような目で、あたま真っ白になって、屋上でたばこ吸ってた。
 頭ん中に、チャ・ララララララ・ラーンゆうて"渡る世間"のテーマが流れていた。見たこたないけど。

 あー、わざわざ気いつかって電話してくれるんはありがたいんすけど、そんな予告編いらねー。しかも10分前に。

 11月からどーやって仕事しよ。それよりあした、"これから仕事の割り振りどーしましょー会議"があると思うんじゃけど、なにをどう考えて、だれに対して、どんな言葉を口にすりゃあええんか、かいもくわからん。しかも時間はまったくない。10月は、あしたいちんちしかないんだから。

 で、きょう一日どーやってすごすか。
 まじめに仕事の今後を考えられるでなく(頭ん中、白紙。)。雨はそぼそぼふっとるし。なんかして気分転換しようゆう気にもならない。落ちつかない。
 時間だけはどんどんたって、すぐにもあしたになっちゃう。

 あ"あ"あ"あ"あ"あ"…。

2011年10月24日月曜日

からー・たいまー

 近所の駐車場の車のハザードがつきっぱなしだった。

 夕方に家族が気づいてたが、だれか乗っとんだろ、と思ってた。
 んで、夜になって、いよいよ変だということになって、自分とこにゆうてきた。

 自分が懐中電灯を持って出ると、家族全員がぞろぞろついてきた。

 車内をべがべが照らしたが、だれも乗ってない。さわりはしないが、カギもかかってるようだ。
 がやがやと車を取り囲んでしばらく騒いでたが、持ち主がわからんのでどうしようもない。

 これはヤバイ。

 駐車場を管理してる不動産屋に電話したが、だれもデンワ。

 緊急事態だからと思って、番号が自宅兼用なのをいいことに、10時すぎまで電話をかけつづけたが、電話はつながらんかった。
 これはダミダ。

 深夜のぞいてみると、車の"ピコンピコン"が、こころなしか弱々しく見えた。

 で、その翌朝。

 カラー・タイマーは…、完全に消えてました。

 合掌、礼拝。

2011年10月20日木曜日

おっさん プチせいけいすること

 自分には、子どものころからみがいてもきれいにならない、白くならない歯が一本あった。
 黄色とゆうよりは、薄い茶色というぐらいに、はっきり色が入ってて、気にならなかったと言えばウソになる。

 そうは言っても虫歯とかでないのはわかっとるし、審美的なことにこだわるのはカッコ悪いことと思ってたので、そのままになってた。

 先日、歯の定期検診のときに医師が、この歯「どうする?」と聞いてきた。

 形成不全とかで、生えたときから色がついてることはままあるそうな。そういえば、歯の表面もなめらかではなくて、舌でさわると、ぽこぽこと段がついてるのがわかる。

 もすこし奥なら笑ったときでも見えんかったのにねえ、と医者は残念そうに言ってた。

 で、あまり深く考えずに、白いにこしたことはないので、やっちゃってください、と答えた。

 歯のエナメル質を少し削って形をととのえてから、白い人工のエナメル質?で表面をおおった。

 家に帰ってから鏡をみると、ちゃんとほかの歯に色が合わせてあることもあって、どの歯が茶色かったのか、よくわかんなくなってた。

 ところが、その白くなってからというもの、舌でさわったり、くちびるをめくってその歯を見たりする機会が増えた。気になる。
 罪悪感とまではいかないが、なんかそれに近い感覚が、どうも抜けない。

 むかし、中国のエライ人が(誰か忘れた)、親孝行とはなんぞや、と聞かれたときに、"わざわざ(親からもらった)体を傷つけるようなことはしない"と答えたそうな。

 虫歯でもない健康な歯を、見た目がブサイクだからという理由で傷つけてしまった。

 美容成形って、こんな気持ちになるのだろうか?

”瀬戸内の民俗誌”沖浦和光/著

 やっと読み終わった。で、勝手なざっかんを。

 おもしろく、文章も読みやすかったんじゃけど、行きつもどりつ、ていねいに読んでたら、まとまった時間がとりにくいこともあってえらく時間がかかった。楽しい時間だった。

 がちがちに出典しめして論考した学術書、ゆうかんじじゃなくて、「ほんまでっか? せんせい」と思うような余地も残してある、エッセイっぽい文章で、とても読みやすくおもしろかった。
 このせんせが、どこをどのような目線で見てるか、というのが波長があうらしくて、読んでて楽しい。ときには、ふっふと笑ってしまう。

 瀬戸内が舞台なんで、とうぜん知ってる地名が多く出るんじゃけど、自分がいま知るその土地とはずいぶんと違ってるのも興味深かった。意外だったり、やっぱりほうかと納得したりいろいろ。

 中央権力にあらがう海賊・水軍や、念仏衆や親鸞さん、日蓮さんの話はわくわくしながら読んだ。血わき肉おどる、ゆうてもおおげさじゃないぐらいの気分だった。痛快だった。

 海賊、水軍、海・浦の被差別部落やおちょろ船などは、興味津々で夢中で読んだが(興味本位ですんません)、それだけじゃなくて、漁民はどのようなくらし、身分だったんだろうとか、豊かな農地を持たない海ぎわや島嶼部の人たちは、どのようなくらしだったのだろうか、などといういままで素朴に思ってきたことについての、ヒントがあったように思えた。

 自分の住んでるとこにしても、万葉集に地名が出てくる何ぞと誇りに思っているが、海のすぐそばまで山がせまっているとこがほとんどで、農本主義(それも米)の社会では、とても豊かな地域だっとは思えない。それでもずいぶん古い集落(もちろん伝説つき)が、幹線の街道からははずれていると思われるところにあったり、高速艇で1時間近くもかかる小さな離島に古い歴史があったりする。

 がっこでならった、"士農工商"および被差別民(エタ、非人)にあてはまらない多様な職能民がいて、瀬戸内だけで見てもたくさんの部族(や国籍)のヒトがいて…。
 親しく交わるとは限らず、時には陰湿で厳しい差別があったようだけど、互いに影響しあいながらくらしてきた、というイメージが広がった。

 ロマンをいだけるような余地はないが、飢餓や貧困、武力闘争や厳しい身分の差別、そういうものも含んで、豊かな世界のように自分には思える。
 それでも名もない人たちは生き残っていき、そのようなものをうち壊していくエネルギーが生まれたりもしたんだから。

 つぎも瀬戸内関係(離島物語)の本を読む予定なんじゃけど、まず足元で、地元の郷土史をはやいうちに読んでみなければ。
 地元にも、江戸期に開港されていまも現役の港があったり、著名な観光地でもないのに、人口に比して異様に大きい歓楽街があったりと、考えるにおもしろい話題がたくさんあるのだから。
 おちょろ船はどうか知らないが、売春防止法施行以前の"遊女"の数はそうとうなもんだったみたいだし。

"瀬戸内の民俗誌"
‐海民史の深層をたずねて‐
沖浦和光/著
岩波新書

2011年10月18日火曜日

しんぼう

 からだが、ゆうよりは、気持ちのほうがへろへろになった。疲れた。

 ふぬけになってベランダでたばこを吸ってると、「ばばん、ばぼん」と音がする。

 たぶん、近所のアパートの、どこかの階のだれかが、ベランダで洗濯機を回してるんだろう。

 完ぺきにバランスくずれとんですけど、その洗濯機。ようがまんしとるな。
 音もすごいけど、振動もすごいんじゃないかと思うんじゃけど、辛抱人じゃねえ。

 ただし、いま夜中で、もうすぐ10時半です。

2011年10月16日日曜日

10月14日 観劇雑記

 夏川あきさん目当てに広島第一劇場に行ってきたので、だらだらと雑記を。

あき嬢ちゃんはあいかわらず明るくって、そこの場や客の気持ちまで明るくなる。

”踊れない踊り子”とブログで自称してたけどそれはもう返上しとって、今回はしっかり踊っとった。「おー、踊っとるがね」と感心した。ちょっとズンドコ入っとったけど、振り付けしてもらってないそうなんで、あんだけ踊れれば上等でせう。それに、あき嬢ちゃんらしさがしっかり出とったし。

歌のほうも、馬力と精度(と繊細さ)は変わらず。せまい劇場で聞くと迫力満点。とくにアカペラは感動ものだった。

で、エロのほうも満点。エロエロでした。ほんとこの嬢ちゃんのストリップはおもしろいわ。

も一人言うときたいのは聖京香嬢。

登場すれば、「おー、スターがきたー!」といつも思う。自分にとっては、うっすらと光背をせおったヒト。勝手に求道者みたいなイメージを持っている。
話すと、ふつうにきれいでかわいいお姉さん(自分にとっちゃお嬢さん)なんじゃけど。

この舞台は10月20日まで。機会のあるヒト、興味のあるオトナは、ぜひぜひ見てみてね。

大型アイドル匠悠那(たくみ・ゆうな)嬢ちゃんと、手抜きなし、どんなときもガチンコで踊るベテラン久美子姐さんもおるでよ。
で行った人は、2回は見るのをお勧め。あき嬢ちゃんは演目がかわるので。

※大型アイドル匠悠那嬢:大きいのは背だけじゃない。ただし、声は聞いてて腰が
くだけるぐらいアニメ声。
※久美子姐さん:体調が万全じゃないときは手え抜かんと。今度会うときは、ユン
ケルとのど飴を差し入れるね。

2011年10月15日土曜日

め、め、め、め…、めい・あい?

 案内看板(マップ)を、じーっと見つめて固まってるお二人。みるからにニポン人ちゃう。

 んー、うしゃー、と気合を入れて話しかけたら、さいわい英語のヒトで、しかも聞きとりやすかった。で、インチキ英語全開でご案内。たぶんお役に立てた(たぶん)。

 べつに、ふつうにニポン人にでもおんなじじゃけど、おせっかいに必要なんは勇気と覚悟っすね。

 女子中高生とか若い女性にすると、もんすごい警戒されたりするけど(やぱし見た目か?)。

2011年10月14日金曜日

ちゃたぬが ちゅう・ちゅう

 きのうの夕方。いつもとちがう道を通って帰った。

 大通りをまっすぐ行くところを、ジグザグに。カラオケや小さな飲み屋さんがならんでいる。人口に比して異様に飲み屋さんが多いんじゃけど、さすがにまだ明るいのでスタンドとかはあいてないようだった。

 花屋の店先を通ったときに、店内から"チャタヌガ・チュー・チュー"が聞こえてきた。小野リサさんの声と思うが、静かで落ち着いた感じなのに陽気で大好きな曲だ。
 すげーなつかし、と思いながら通り過ぎた。

 それからは、家に帰ってからも、いまも、ずーっとこの曲が頭んなかを流れている。

 ほんとの曲名かは、はなはだ自信がないが、「チューチュー・トレイン」みたいな感じと思う(ポルトガル語?)。
 小野リサさんが歌ってるくらいだから、もともとボサノバなのかもしれないが、自分の頭んなかを流れているのは、もとはやったときの曲でも小野リサさんでもなく、細野晴臣さんのヴォーカル。

 YMOが世界中を席巻した当時、自分も一生懸命レンタル"レコード"屋でレコードをせっせと借りていた。

 あの3人は、自分にとって神様のようなヒトで、いまでも"ライディーン"とか聞くと、頭んなかにへんなものがどくどくと流れてくる。TVCMの"ポッキーオ"は衝撃だった。「なにやってんすか、みなさん!」。

 YMOのレコードをおおかた借りてしまうと、こんどはYMO結成以前の細野さんや教授、高橋さんはどんな仕事しよったんじゃろう?と興味を持って、ずいぶん古いレコードも借りるようになった。

 細野さんのソロだか、ティンパンアレーだかのアルバムに入ってたのがこの曲。

 だから、頭んなかを流れるのは、うろ覚えの切れ切れでおんなじとこをループするんじゃけど、「こりゃまたはやいね…」と日本語がまじる低い声の細野バージョン。

 で、きょうは休日出勤の代休をもらって、頭の中をこの曲が流れながら、いまから電車にのってマチへ遊びにゆく。

 "こんちき・ぱぱれほ・ぱぱーん・ぱ・ぱーん"

2011年10月11日火曜日

おわりよければ すべて

 終わりよければ、すべて、パンパカパーン。

 三日続いた、大イベントの"駐車場のおじさん"の状況終了。

 無事、事故もなく仕事を終えることができた。

 あ"あ"あ"、一枚事故報告書を書いたような気もするが、まあええじゃろ。駐車場内の事故じゃあなさげだったんで。けが人が出たわけじゃなし。

 いちんち中ほこりまみれの駐車場に立ってて、走ってて。一日一日と体が重くなり、足の裏まで、痛くないとこがないぐらいに、どよーんと筋肉痛。
 "生活リズム計"によれば、一日平均2万歩。三日で6万歩超と、普段の一週間分以上の歩数を動いてた。

 事故・けが人をだしちゃあいけん、ゆうプレッシャーもすごくて、Gの病が日に日に悪化。三日目には歩くのもつらいぐらいにシリが痛くなっとった。
 おまけに式典のある最終3日目の朝は、そのプレッシャーで腹までくだし、子猫のような、なんちゅう細い神経なんじゃと自分で思った。
 ストレス(正確にはストレッサー?)、おそるべし。

 でも、業務終了となったときは、もううれしくてうれしくて、同僚だけでなく、世話んなった警備のヒトらまで、ひとりひとりにお礼を言ってまわった。

 このイベントが、つぎにうちの地域に来るのは4〜50年後なんで、自分は確実に土の下、鬼籍に入っている。一生に一度のイベントだったっちゅうわけ。

 そのイベントの花の部分は、ほとんど見ることはできんかったけど、地響きのような歓声は、会場から離れた駐車場まで聞こえてきた。
 たとえハレの舞台でなくとも、大きな行事に参加することは、楽しいしうれしい。苦労したのが吹き飛ぶぐらいの感動がある。カゲの、とか、縁の下の、とか、控えめな気分じゃなくて、自分も一大イベントの参加者、ゆう充実感があった。
 始まる前は、超メンドくさいよけいな仕事と思いよったのに、勝手なもんだ。

 で、この高揚した気分を少し残しつつ、あすからは日常にもどってゆくのでした。

 職場の机のうえは、すごいことになっとんじゃろうなあ…。

2011年10月8日土曜日

はたらく おじさん

 「はったらっく、おじさん。はったらく、おじさん。こーんにーちーわー。」

 て、わかる世代はいくつまでなんじゃろか?

 おいさん(自分)は、まあ普通に働いてるわけなんだが、きのう、きょう、あしたは、ちょっとー、ちーがーうー。

 駐車場のおじさんなのである。さんれんちゃんで。

 あさ6時前に"現場"にむけて出発。へろへろに疲れて"現場"から帰りつくのは午后6時過ぎ。
 実稼働時間はたいしたこたーない。

 が、立ちっぱなし&走り回って、警備のヒトの真似ごとして、慣れん交通整理して、次々起こる、小さな事件に対応して、ゆう一日は、ぶっ疲れる。
 プロの警備員と一緒に仕事するんじゃけど、緊張感きれずにきっちり時間まで仕事すんのは、ほんとにすごい。ミスったら大きな事故になるんだからなおさら。

 そーれーにー比べて、職種が違うゆうたらそれまでじゃけど、自分はもう夕方にはへろへろ。ぼろぎれのように疲れて、バスにゆられて帰ってくる。
 きのうよりもきょうと、確実にたまってく、削れてく感じがする。

 もういま、座ってるだけで眠い。目が閉じそう。体イタイ、腰イタイ、ダルイ。日焼けで腕、首、顔がひりひりして、目ん玉まで日焼けでイタイ。それになぜか、座りっぱなしじゃなくて、いちんち中立って動き回っとったのに、"ぢ"が悪くなってきた。日に日に増す、シリの痛み…。

 じゃあ楽しくないんか、つらいだけなんか、ゆうたら、一日が終わってみると、ただほっと安心するだけじゃなくて、充実してて楽しかったような気がしてくるから不思議だ。
 想定外のトラブルにパニックになったり、お客さんからお叱りを受けたり、ヒトが思いどおりに動いてくれずにキレたり、の一日なのに。

 おひさまをあびながら、体を動かしてヒトと話をする仕事だからだろうか?

 なんか、二十ウン年前の、農家のバイトを思い出す。マジで限界、ゆうくらい体がきつかったのに、すごい楽しかったような気がする。

 不思議だ。

 で、あすが最終日。ぶじに終えますように。

2011年10月7日金曜日

やぱしダメか?

 仕事でトラブった。

 家族にも内緒で休んで、マチに遊びに行こうと思っとったのに、パーになった。

 「なにしに休むか知っとるんで、(休んで)いいとは言えません。」

 部下にダメだしされた。

 そう、ひさびさにストリップ行こうと思うて、ウキウキしとったんよね。

 きょう慣れん仕事で疲れきって(立ち仕事で足ガクガク、腰ボキボキ)、しかも、あしたもあさってもその仕事なんじゃけど。疲れが倍増しちまったぜい。がんばった自分へのご褒美と思いよったのに。

 そんなだんじゃあなくなってしもうた…。ゲロ。

2011年10月5日水曜日

愛の アルゴリズムたいそう

夜、11時になりなんとするころ。

とつぜん息子が低いダミ声で歌いながら、アルゴリズム体操をはじめた。ゆっくりと歩きながら。
娘もすぐにつられて、だまってアルゴリズム体操をはじめた。広くもない部屋を二人で歩きながら。

「いーっぽ、進んでまえならえー」

(アルゴリズム行進?)

「いーっぽ進んで、エライひとー」

のところで、二人は一歩半の距離とって真正面で向かいあった。

「そっくりかえって、ぺこりんこー」

ゆうたつぎの瞬間、二人は頭突きになった。「ごずっ」と、にぶい音がした。
身長差があるのに、ジャストミートで二人ともでこぴんだった。

ぶつけた瞬間もそのあとも、二人とも一言も声をあげなかった。で、ぶつけたでこに手を当てるでなし、首をうなだれて、だらりと両手をたらした状態で固まっていた。

(おーお、すごい音がしたのう。)

そのまま固まってる時間がえらく長く感じられて、やっと口をひらいたのは息子のほうだった。

「…まえは、殺す気かっ!」


(お、動いた。)

うちの兄妹(きょうだい)は仲がええのお、と思った。
娘は"もう中学生"で、息子は"もう高校生"、なんじゃけど。

2011年10月2日日曜日

たいせつな めも

 机のうえに、娘のメモ帳がなげてあった。

 表紙にきしゃないえんぴつ書きで、"大切なメモ"とあった。

 大切なメモと書いてあるんだから、たぶん、大切なメモなんだろう。ちょっと興味がわいたが、見んことにした。